山田雅晴の新刊のご案内

新刊!『超開運!神さまがあなたの成功を後押ししてくれる神社参拝法』920円+税 山田雅晴著、文芸社文庫

☆最新の山田流神社仏閣開運法をコンパクトにまとめた1冊であり、プレゼントにもオススメです!

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本書はプロの古神道家であり、開運・金運アップの実践指導者の立場から、自分の体験を踏まえて、「神さまへの認識が深まれば、神社の風景が変わり、神さまの加護が増す」という視点で書いています。これは仏閣も同様です。20年近くの神仏との直接交流によって、「開運の立場」から観た神社仏閣に参拝する際のポイントや祈り方、21日・21回参拝法などをご紹介していきます。

「神社の構成要素である「拝殿、本殿、摂社、末社、別宮、奥宮、神体山、地主神、元宮、祓戸社、富士塚」について説明しています。これらの場所(パワースポット)に、重要な神々が隠れています。これらを認識・参拝することで、加護が増すのです。「産土神社、鎮守神社、諸国一の宮、二の宮、三の宮、総社、総鎮守、総本宮、一国一社の八幡宮、国魂を祭る神社、神社仏閣の両参り」などについて解説しています。

また、仏閣に参拝する際の優先順位、「菩提寺、総本山、大本山、別格本山、別院」「仏閣の地主神、奥之院、諸国国分寺・国分尼寺、神宮寺」を述べています。

第1章 神社開運法で、大いなる福徳・金運をいただく

第2章 自宅でできる「21日・21回」秘伝開運法

第3章 金運・財運アップ術と「金運の法則」

第4章 開運シンクロニシティと天地の法則で、幸運を引き寄せる

第5章 古神道の最奥義・自神拝と「産土の守護曼荼羅」強化法

付章 開運神社・霊山・聖地、前世・人間関係、「神棚・仏壇・お墓」の祭祀Q&A

巻末付録  神社仏閣での祈り方と「日常生活での厳選祈り詞・神言・真言」

 

 

 


増上寺と阿弥陀如来さま

せっかくのお盆休み、猛暑とはいえ1日くらいはお出かけしたい! ということで、14日のお盆の中日、東京都港区芝公園にある増上寺と芝大神宮に行ってきました。けっこう有名な寺社ですが、まだ行ったことがなかったのです。

まず、都営浅草線大門駅で降りて、芝大神宮に行きました。ご祭神は「天照大御神」「豊受比売神」で、「関東のお伊勢さま」として約1000年の歴史のある古社です。源頼朝や徳川幕府の庇護を受け、大江戸の大産土神として関東一円の庶民信仰を集めたとあります。産土神社リサーチでも、ここが産土神社や鎮守神社になるケースはあるそうです。

都会の真ん中にあり、周囲は高層ビル群に囲まれ、境内も広いとはいえませんが、参拝者はそれなりに多く、結婚式などの人気が高いようです。東京大神宮(千代田区富士見町)と雰囲気が似ていると感じたのは、同じ伊勢の神さまを祭るからなのでしょう。洗練された都会的な神社という印象です。

浄土宗大本山増上寺

浄土宗大本山増上寺

次に、今日のメインである増上寺に行きました。芝大神宮から徒歩5、6分です。加護仏閣としてもご縁のある方が多いと思います。大きな通りにかかる大門をくぐり、さらに歩いていくと増上寺の大本堂が見えてきます。境内に入ると、広大な境内の正面にドーンと大本堂が鎮座し、さらにその右背後に東京タワーが聳え立つ光景は迫力があります。これがいわゆる「インスタばえする」というのでしょう。写真を撮っている人が多いです。

さて、増上寺は浄土宗の七大本山のひとつで、1393年、酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開山されたとされます。徳川家の菩提寺として、徳川家康の庇護厚く、大隆盛をきわめたとされます。ご本尊は阿弥陀如来さまで、「木造阿弥陀如来坐像」は金箔がほどこされ、穏やかながらも威厳があるお姿をされています。ちなみに浄土真宗では,放射光背の阿弥陀如来(立像)のみをご本尊とし,浄土宗では、舟形光背などの光背を持つ阿弥陀如来(坐像・立像)をご本尊としていることが多いということです。

お賽銭箱の前方に、いすが何列か並べてあるので、いすに座ってお参りしました。阿弥陀如来さまにゆっくりと祈願します。前に座っていた山田が、時々うなずきながらお祈りしていました。仏さまと何かやりとりしているようです。後で聞いたら、阿弥陀如来さまから「今までたくさんの阿弥陀如来を開運してくれてありがとう。これからは山田家を加護してあげましょう」とメッセージをいただいたそうです。(*^▽^*)

阿弥陀如来さまの左側に、浄土宗の開祖・法然上人像があります。山田が「来年、日本仏教の祖師たちを、講座の会場にお招きしますので、ぜひ法然上人さまもいらっしゃってください」とお伝えしたたところ、「わかりました」とお返事があったそうです。

次に、安国殿の通称「黒本尊」とよばれる阿弥陀如来さまにお参りしました。恵心僧都(えしんそうず)源信の作とも伝えられるこの阿弥陀如来像を家康公は深く尊崇し、陣中にも奉持して戦の勝利を祈願したとされます。

勝運、災難除けの霊験あらたかな仏として人気が高いようです。この黒本尊と対になるのが、静岡市の宝台院の「白本尊」と呼ばれる阿弥陀如来立像です。やはり徳川家康ゆかりの仏さまであり、山田の加護仏閣リサーチでは宝台院も加護仏閣になることがあるそうです。「家康公は信仰心が厚かったので、幕府を開く際、神仏の加護を受けるような体制をつくり、徳川時代は260年もの長きにわたる『太平の世』になったのだ」と言っていました。

敷地内に徳川将軍家墓所もあり、6人の将軍と、お江の方や皇女和宮なども眠っています。通常は非公開のようですが、ちょうど特別公開中で見学することができました。歴史上の人物たちの重厚なお墓群に圧倒されました。

この後、東京タワーに登る予定だったのですが、猛暑で断念しました(笑)。がんばるほうはすぐに断念できます(^^;

最後にお楽しみの食事です。大門の通りを駅方向に歩いていたら、右手の並びに「築地寿司〇〇」という看板が見えました。よし、あそこに行こうということで、入ってみるとなかなか雰囲気のいいお店でした。握り寿司ランチで、みそ汁と茶碗蒸しもついて、780円は超お得です! 美味しさにも大満足で帰りました。増上寺に行った時はさがしてみてください。

短いお盆休みも今日で終わりです。猛暑、ゲリラ雷雨、台風と、恵まれないお天気でしたが、正月と違って年賀状は書かなくていいし、お節の用意もしなくていいので、ゆっくり過ごすことができました(*^^*)。また、明日から通常モードでがんばります!


西日本の皆さまへお見舞い申し上げます

数十年に一度の豪雨で予想を超える甚大な被害となり、ニュースの映像を見て胸を痛めています。お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。また、被害地域にお住まいの方々にお見舞い申し上げます。

復旧に向けて動きだしていると思いますが、一日も早く落ち着いた暮らしが戻りますよう、心より願っています。義援金など、私たちにできる支援をさせていただきたいと思います。

さて、昨日は「人間に内在する星の力の覚醒」講座の第1回目が、盛況のうちに開催できました。北海道や東北、そして被災地の岡山からも、たいへんな中ご参加いただきました。講座の冒頭で、今回亡くなられた方々に全員で黙とうをさせていただきました。

岡山からの参加者の方がお話しくださいました。前日まで新幹線が止まっている中、行けるかどうかわからないぎりぎりの状況で、命が大事だから無理はしないけれど、なんとか行こうと努力されたこと、そして何より守護のご存在たちの大きな後押し(行ってほしい!という強い圧力?)で、無事に参加できたということをお話しいただきました。

もちろん、講座に参加するよりも家族や生命の安全が大事ですから、たいへんなときは決して無理なさらないで、お休みいただいて結構です。

8日の講座では、星の存在や仏尊さま方より、ぜいたくなほどの神秘力、福徳、功徳をいただき、死の魄(厄気)の浄めで厄を祓い、皆さんに喜んでいただけたと思います。山田の話ですと、近年、甚大な災害が増えてきたので、「災害死などの不幸・不運を減らす開運法」として、厄祓い・延命開運法を編み出したということです。

実は7月8日の講座が一番人気で、多くのキャンセル待ちがいたので、10月に追加開催することにしました。今回、受講できなかった方を優先しますので、次回ライフ告知後にお申込みください。

『ライフクリエーション』は現在、準備中ですので、7月下旬までお待ちください。「新着情報」に予定を載せますので、時々チェックしてください。


大阪地震のお見舞い申し上げます

今朝、突然の大きな地震の報に驚きました。大阪はじめ関西在住の会員の皆さま、ご無事だったでしょうか? ご家族や、おうちの被害などはなかったのか、案じられます。ちょうど通勤通学中の時間帯ですから、電車が止まったり、たいへんな思いをされた方もいらっしゃるのではないかと存じます。その後の断水や停電の影響が大きいようで、心配です。一日も早く復旧し、平穏な日常に戻りますよう、お祈りいたします。

最近、千葉県ではスロースリップ地震が続き、17日の講座中にも群馬の地震で会場が揺れました。その翌日は大阪の震度6弱ですから、しばらく要注意ですね。新幹線も最近、事故、受難が続いています。17日夜は東北新幹線が止まって、講座に参加された東北の会員さんは、足止めされてたいへんだったのでは心配していました。

いろいろな災害、事件、事故がいつふりかかるかわからない時代ですので、やれる現実的対策はうつとともに、霊的守護を厚くして、運を強くしていきましょう。

今、講座の最新トレンドである、突然死や不幸を減らす「死の魄(厄気)の浄めと昇華法」はたいへん好評で、手ごたえを感じています。今後、さらに研究・実践していくうちに、より効果的な開運法になっていくと思います。


日蓮宗立教の聖地・清澄寺参拝の記

5月末、千葉県鴨川市にある日蓮宗大本山清澄寺に行きました。『光の神業秘録』59号に、日蓮上人の誕生寺や三奇瑞の話を書いていますが、日蓮上人が修行した清澄寺にはまだ行ったことがありませんでした(山奥なのです)。加護仏閣リサーチでも、加護仏閣として出ることがありますので、今回は大本山清澄寺に行ってみようということになりました。

鴨川市の海側から車で山道を登ること約20分、途中急カーブや狭い道があり、不安を覚えながら進んでいくと、山上にお寺が見えてきました。房総の山々は標高はそれほど高くないのですが、霊山は急峻で奥深い場所にあります。車から降りると、空気がシンとして、「清澄」という名前にふさわしい雰囲気があります。

門前の駐車場から歩いていくと、宿坊や研修施設などもあり、東京の御嶽山に雰囲気が似ています。オフシーズンなので参拝客は少なく静かでしたが、行事やお祭りの時はたいへんな賑わいとなるのでしょう。

清澄寺本堂

清澄寺本堂

「千光山清澄寺はおよそ1200年の昔、”不思議法師”と名付けられた僧侶が千光を発する柏の木で虚空蔵菩薩の仏像を彫り、その仏像の前で21日間修行をしたことに始まります。承和3年(836)、比叡山延暦寺の中興の祖・慈覚大師円仁がこの地を訪れ、その仏像の前で21日間の修行をしました。それ以来、当山は天台宗のお寺となり次第に栄えていきました」

日蓮は12歳の時、小湊から山岳密教の霊場である清澄寺に登山し、虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となし給へ」との願いを立てます。虚空蔵菩薩は日蓮の眼前に高僧となって出現し、明星の如き智慧の宝珠を授けてくれたという話です。

日蓮は清澄寺で出家得度し、勉学修行に励みます。その後、諸国に出て各宗の奥義を学び、32歳で帰山し、旭が森(境内)で立教開宗の第一声をあげたということです。

実は、清澄寺が日蓮宗大本山となったのは昭和24年で、それ以前は真言宗のお寺だったのです。さらに、真言宗の前は、前述したようにもともと天台宗のお寺として始まったのです。(~_~;) それは次のようないきさつからです。

「室町~江戸期には度重なる火災と戦により衰退と復興を繰り返します。大正期に入り日蓮聖人の銅像が完成したことでお参りの信者さんが増え、真言宗智山派と日蓮宗との間で改宗の話し合いがもたれました。そして昭和24年、当山は日蓮宗に改宗し、宗門直轄の大本山として現在に至ります」

天然記念物の千年杉

天然記念物の千年杉

さて、境内に入るとまず目に入るのが、「千年杉」です。樹齢800年といわれる大杉は異様な迫力があります。左手に大きな本堂があり、中央には曼荼羅ご本尊と能満虚空蔵菩薩が祀られているということです。本堂左手の妙見山の山頂に「妙見堂」があります。ここが奥の院であり、根本鎮守である北辰妙見大菩薩をお祀りしています。

仁王門に入る手前の右手には「蔵王権現堂」や「天富神社」があります。天富神社のご祭神は「アメノトミノ命(房総の開拓神)、事勝國勝長狭命、大山祇命、ウガノミタマノ命」です。ここが地主社になるのでしょう。古伝では、天富命が房総に来た時、この山に登ったということです。もとは妙見山頂にあったのですが、神仏分離の時こちらに移されたそうです。事勝國勝長狭命とは、山田によればミロク天照国照彦櫛玉饒速日大神さまだということです。(上総国一の宮・玉前神社にも、隠れ神として天照国照彦櫛玉饒速日大神さまがいらっしゃいます)

天富神社への登りがきつそうだったので参拝しませんでしたが、天富神社の境内は「関東の富士見百景」に指定されているとのことですので、お天気のよい日は行ってみるといいでしょう。

清澄寺に参拝した感想としては、日蓮宗の人は必ず、そうでない人も一度は行ってみるとよい、オススメの霊山だと思います。ただ、…道のりはラクではありません。帰りは反対側、木更津方向に下りていったのですが、くねくねとした山道が続き、途中、川べりの崖沿いの、車1台しか通れないような狭い道や、黒澤明の「夢」を彷彿させる暗いトンネルを通ったり、なかなかスリルがありました。(^^;  清澄山が人里離れた奥深い山岳霊場だということが実感できます。車の運転に慣れていないとたいへんです。

帰りに木更津の道の駅「うまくたの里」に寄りました。新しくて、地場産品も豊富だし、カフェや食事処もありオススメです! おみやげに買ったシフォンンケーキがとっても美味しかったです。(*^▽^*)

 

さて、今、新しい講演CDを編集作業中です。昨年収録した「超次元世界・原則界の神秘力と伊勢神宮・元伊勢神業」というタイトルで、内容充実の自信作ですので、楽しみにお待ちください。

 


祝!「長崎・天草の潜伏キリシタン関連遺産」が世界遺産登録へ

新緑の気持ちいい季節となりましたね。皆さま、連休は楽しまれましたか? 当社は今日から通常営業となります。

さて、ユネスコの世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録される見通しとなったというニュースが、4日に入りました。私の故郷・五島列島の教会と集落も含まれ、以前から待ち望んでいた知らせに喜んでいます。

申請の段階では、キリスト教関連遺産群としてもっと対象が広かったのですが、勧告により「潜伏キリシタン関連遺産」として絞り込まれたようです。だから、当然入ると思っていた近くの教会が外れていたのは、少し残念な気持ちです。対象から外された教会も、もともと迫害から逃れてきたキリシタンの子孫たちが100年以上前に力を合わせて造った教会が多いのです。

長崎・五島はキリスト教人口がとても多い地域です。子どもの頃も、教室の4分の1くらいはカトリックの信者だったと思います。移住してきたキリスト教信者たちは、島でも奥まった入江や辺鄙な地域を開拓して、集落を作り、教会を建てました。その中に、今回構成遺産となった「頭が島の集落」「野崎島の集落跡」があります。

野崎島は平成13年に、最後の居住者である神官がいなくなり、無人島になります。野崎島の野首教会は無人島にもかかわらず丁寧に管理され、建築物としても美しさを保っています。定期船が通っているので、今後観光客が増えることでしょう。

キリシタンの人々は、神社の氏子となることにより、神道への信仰を装いながら自らの信仰を続けて、解禁後にカトリックに復帰したということです。ほかの潜伏キリシタン関連遺産も、仏教徒を装ったり、氏子になったりして同じような形で信仰を守ってきたといいます。

このように、五島列島は隠れキリシタンの島というイメージがありますが、実はもっと以前、縄文時代、さらにそれ以前の巨石文明の遺構、祭祀跡、旧石器時代の遺物が各地にあるのです。『古事記』の国生み・島生み神話でも五島列島は登場し、「天之忍男(あめのおしお)」という神名をお持ちです。

野崎島は近年、パワースポットとしても注目されています。沖ノ神島神社の背後に、高さ24メートルの王位石というドルメンのような巨石があります。古来より、五島列島一円から崇敬の対象となっていたということです(地元なのに知りませんでしたが…(^^;)。

また、海底に沈んだ高麗島伝説や、与那国島のような海底遺跡もあります。私の生まれた村の海岸にも実は大きな立岩(メンヒル)があるのですが、だれにも教わったことがありません。10数年前、海上から見ていた時に、「巨石遺構だ」と気づきました。親も聞いたことがないというので、地域の人々の記憶と伝承も失われているのです。

中央に立岩(メンヒル)が見えます

中央に立岩(メンヒル)が見えます

今後の講座で、世界の古代文明、巨石遺構をもった縄文時代、さらにムー時代のご開運をしていくという話ですので、どのような展開になるかお楽しみに。

 


さきたま古墳群と前玉神社 その2

その1からのつづきです。

さきたま古墳公園入口向かいの道路に、「埼玉県名発祥の古社、前玉神社まですぐ⇒」という標識がありました。それを見て、「前玉神社にも行こう!」となりました。前玉(さきたま)神社のことは、正直忘れていた(^^;のですが、埼玉県名発祥の神社ですし、埼玉県の人なら必ず行くべき神社です。

ということで、昼食の後、前玉神社に向かいました。前玉神社の住所は行田市埼玉です。歴史は古く、古墳時代(400~500年)までさかのぼり、古墳群に向かって祈願する形で建てられているということです。前玉神社そのものが「浅間塚古墳」と呼ばれる小さな円墳の上に建てられています。平安時代に定められた延喜式内社ですから、格式は相当高いのです。

前玉神社参道の桜吹雪

前玉神社参道の桜吹雪

前玉神社のサキタマとは幸魂(さきみたま)に通じます。由来によれば、ご祭神は出雲系の神である前玉比売神(サキタマヒメノミコト)と前玉彦命(サキタマヒコノミコト)の二柱です。前玉比売神は天之甕主神(アマノミカヌシノカミ)の子で、甕主日子神(ミカヌシヒコノカミ)の母とされます。山田によると、天之甕主神とは天津甕星(アメツミカボシ)、すなわちアラハバキノ大神威さまのことだそうです。

境内社として浅間神社があり、コノハナサクヤヒメノ神さまがお祭りされています。浅間神社は忍城から勧請したそうです。ほか境内社には恵比寿社、天神社もあります。「恋愛成就、子育て、安産祈願、夫婦円満」のご神徳があるということです。

浅間塚を登っていくと、急な階段の上に前玉神社が鎮座しています。社殿は古いですが、歴史を感じさせる重厚感があります。境内には「龍泉池」があり、こちらも水面が桜の花びらでいっぱいでした。

前玉神社

前玉神社

埼玉県には出雲系の神社が多いのです。武蔵国一の宮の氷川神社・氷川女體神社をはじめ、鷲宮神社、出雲伊波井神社、氷川神社も各地にあります。古代、関東は出雲の勢力範囲だったことを表しているのでしょう。そして、前玉神社はこの地域の国魂に関係しているのかもしれません。

さきたま古墳群の向きについては、富士山を向いているのではという説もあるようです。この地域は平原で沼地が多く、古墳以外に小高い丘はありません。南西方向には富士山が見えます。富士山を向いているというのは可能性として高いのではないかと思います。

さて、次に「八幡山古墳」に向かいました。古墳群から少し離れた市街地の中にあり、公園になっています。八幡山古墳は古墳の中の石室が露出して、奈良県明日香村の石舞台に似ているところから、「関東の石舞台」と呼ばれます。それで山田が、興味あるから行ってみたいということでした。

入口には鉄格子がかかって、格子の間から石室の中のようすがのぞけます。四角い巨石ががっちりと組み合わされて、十分な広さがあります。外側もさまざまな大きさの岩を積み上げて階段状に高くなっていて、階段の天井には平らな石がストーンヘンジのように乗せられています。1400年ほど前に、どうやってこの石組みを作ったのか、石をどこから、どうやって運んだのか、謎ですね(?_?)

八幡山古墳

八幡山古墳

行田市教育委員会の解説です。「八幡山古墳はこの周辺に広がる若小玉古墳群の中心となる古墳で、7世紀前半に造られた直径約80mの大型の円墳と推定されています。昭和9年に、約2km東にあった小針沼の干拓事業のため古墳の封土を崩した際に、石室が現れました。石室はほぼ南北に位置し、南を正面とする前・中・後室の3室からなる全長16.7mの巨大な石室であることが明らかになりました。各室とも秩父地方から運搬された巨大な緑泥片岩と安山岩で築造されています。

発掘調査では最高級の棺である漆塗木棺の破片や銅鋺など豪華な遺物が発見されており、この古墳に葬られた人物がかなりの権力者であったと考えられることから、『聖徳太子伝暦』に登場する武蔵国造物部連兄磨(むさしのくにのみやつこ・もののべのむらじあにまろ)の墓と推測する説もあります」

さきたま古墳群に現存する古墳は大型のものだけで、多くは昭和の干拓事業でつぶされてしまったわけです。本当に惜しいことをしたと思います。きちんと保存されていたら世界遺産は間違いないでしょう。

秩父から石を運んだといいますが、秩父は遠いです!(@_@) 船で運搬したのでしょうか。それにしても昔の人々の技術と情熱と体力には感心します。

こうして、この日はさいたま再発見の旅になりました。地味な県ですが、「本当はスゴイ!」埼玉県なのです!


さきたま古墳群と前玉神社 その1

少し以前から、「超久しぶりに、さきたま古墳群を観にいきたいな。花見の頃に行こうか」という話をなんとなくしていました。その後、急に山田が決然と、「よし、さきたま古墳群に行こう!」と言うので、(どうした、急に…?)と思ったら、「5月に天孫神族のご開運とヤマト・ヒノモトの和合講座をやるから、その下調べをしたい」ということです。(そ、それですか…(^^;)

というわけで、4月2日、花見も兼ねて、埼玉県行田市の「さきたま古墳公園」に車で行きました。ここは「埼玉」という地名の発祥の地で、万葉集にもうたわれる古い歴史があります。今から1300年から1500年前に建立された古墳が、大きいもので9基発掘されています。ほかにも小さい古墳が数十基あったらしいです。全国有数の古墳群であり、世界遺産登録を目指しているとのことです。埼玉県の人なら知っているはずですが、県外のIさんは、「そんなところがあるのですか? 知りませんでした」と。(+_+)。ちょっとマイナーな場所ですが、すごく重要なところなのです!

今回で行くのは2度目ですが、20年以上前、いつだったか思い出せないくらい以前です。当時は「さいたま風土記の丘」と呼ばれていました。その頃よりはだいぶ整備され、広くて無料の駐車場も完備されています。初夏を思わせる好天で、桜は満開でした。花見や散歩を楽しむ多くの人が訪れていました。

円墳の丸墓山古墳と桜

円墳の丸墓山古墳と桜

一番大きな円墳の「丸墓山古墳」に登りました。日本最大級の円墳で直系が100メートル、高さ18.9メートルですが、中高年の身には頂上までの階段はきつかったです(笑)。ゼーゼー言いながら頂上に着くと、満開の桜が迎えてくれました。頂上は平らな広場になっており、360度の絶景が楽しめます。行田市街のほうを見ると、「のぼうの城」の舞台として有名な忍城(おしじょう)が遠望できます。石田三成が忍城を水攻めするために、この丸墓山の頂上に陣を張って、周辺に石田堤を築いたという話です。石田堤沿いの桜並木も見事に咲き誇っていました。

近くにいくつかの前方後円墳があり、それぞれ大きさが100メートル以上あります。こんな大きな古墳がこの地域に集中していることがとても不思議です。古墳と言えば近畿地方のイメージが強いですが、近畿にひけをとらない規模がこのさきたま古墳群なのです。5、6世紀に突如として、この一帯に古墳が次々に造られたようです。これは相当有力な豪族が勢力を持っていたこと、武蔵国の中心がこの地域であったことを表しているのでしょう。ヤマトに対するヒノモトという側面もあると思います。

前方後円墳の稲荷山古墳

前方後円墳の稲荷山古墳

自宅に戻ってから古墳群の地図を見ると、大小8基の前方後円墳は皆、きれいに同じ方角を向いているのがわかり、驚きました。現地では大きさのゆえ、方角や位置関係まではわかりませんが、上空からの図は整然と向きがそろっているのです。円形のほうが東北、方形が西南方向を指しているようです。深い意味があるに違いありません。その方角の先に何があるのでしょうか? 興味深いです。

さて、円墳に登って疲れたので、ほかの前方後円墳は横から見学だけにしました(笑)。公園内はとにかく広くて(東京ドーム8個分)、けっこう歩きます。歩いてお腹がすいたので、早々にお昼にしました。公園の前の道路ぞいにうどん屋さんがあります。ワンコ連れだったので、ご好意で外のベンチでいただきました。名物のきのこつけ汁うどんがとっても美味しかったです。こしの強い、ボリュームたっぷりの麺に甘めのつけ汁がよく合って、多いかなと思ったけど完食でした(*^^*)。地元では人気のある武蔵野うどんの名店だそうです。さきたま古墳公園に来たら、絶対オススメです! その2につづく


仁和寺展に行って

3月9日、上野の東京国立博物館で開催中の「仁和寺と御室派のみほとけ」特別展に行ってきました。会員さんにも見に行った方が多いようですね。「すごく良かったです! 感動しました」という話が耳に入り、「これは行かねば」と思っていました。11日までの開催ということで、ギリギリ間に合いました。

ところで、仁和寺といっても、昔、高校の古文で習った「仁和寺にある法師…」という『徒然草』の文章が浮かぶ以外、これといった知識もなかったのですが…(^^;   あとで調べてみると、仁和寺は888年、宇多天皇が創った真言宗御室派の総本山で、天皇家の私寺として隆盛を誇った歴史があるようです。今回は仁和寺の寺宝をはじめ、全国の御室派のお寺が所蔵する名宝、秘仏や本尊66体が一同に会するということです。

特に注目されるのが、葛井(ふじい)寺の国宝「千手観音菩薩坐像」です。奈良時代の作で、1043本の手は圧巻です。実際に千本以上の手をもつ千手観音さまはこの仏像だけということです。

仏像をメインに展示する会場に行くと、まず、千手観音菩薩立像を中心に色とりどりの二十八部衆の仏尊や不動明王さま方が曼荼羅状にドーンと配置されていて、思わず、「おおーっ」と声があがります。なんと、このスペースは撮影フリーで、写真を撮ることができました。ほかの観覧者も写真撮りまくりでした。さまざまな仏尊、天部の神々さまがおられて、それぞれいろいろな表情、ポーズをとられていて、多様であり、八百万というイメージがあります。

メインは秘仏のコーナー、特に葛井寺の千手観音さまはやはりすごかったです。あの千本以上の手をつくった昔の仏師の技術や、人々の願い、信仰のエネルギーに感嘆します。

去年の秋、「運慶展」を見ましたが、比較すると作風の違いがよくわかります。仁和寺展の仏像は平安時代の作が多いので、平和で貴族文化を反映しているのか、優美で、たたずまいが静かで癒される感じです。仏さまがやさしく救ってくださりそうな雰囲気です。運慶展の仏像は鎌倉時代、武士の時代を反映しているので、力強さ、躍動感、生命エネルギー、今にも動き出しそうなリアルさがありました。元寇が、武士の時代だった鎌倉時代でよかったです(笑)。ほかの仏像群もそれぞれ素晴らしく、弘法大師の直筆の文書もあり、一見の価値はあります(今日で最終日が惜しい!)。

仁和寺は皇室出身者が代々の住職を務め、最高の格式を誇りましたが、応仁の乱で一山のほとんどを焼失してしまいます(また出た、応仁の乱…)。ただ、ご本尊はほかに移して災禍を免れたそうでよかったです。昨年から「応仁の乱~戦国時代の浄め」シリーズ講座をやっていますが、まったく応仁の乱は歴史の中で特にカルマの深い出来事だったのですね。京都では戦といえば応仁の乱、というのもうなずけます。いまだに、何かといえば応仁の乱で、というのが出てきます。

さて、翌日、仁和寺展に行ったことを事務所で話していて、「山田は展覧会では仏さまと交流したり、メッセージを受けたりしない。一般の観覧者として観ている」ということを言ったら、Hさんが「ええっ、そうなんですか?!」と驚いていました。先生は仏さまといろいろ交流したり、何かやっていると、当然のように思っていたようです。その反応から、きっとほかの会員さんも同じように思いこんでいる人が多いだろうね、となりました。そんなことはありません。

なぜ、いちいち交流しないかというと、「神仏からいろいろご開運を頼まれるから。頼まれたら、断りにくいので」だそうです。現在は地球レベルでやることが多いので、必要な時以外は、一体一体の神仏との交流は意識的にしないそうです。それに、あくまで休日のお出かけであり、オン・オフははっきり区別しています。

霊能のある人は常にアンテナをはっておくのではなく、必要な時だけ、意識的にアンテナを立てることができるようにしたほうがいいということです。

寒かった冬もようやく終わりに近づき、そろそろ桜の開花も間近となりましたね。今日は3.11、あれから7年たちました。亡くなられた方々のご冥福と、被災地の復興をお祈りいたします。

千手観音立像と二十八部衆

千手観音立像と二十八部衆


星の神秘力

2017年12月の講座で「時の銀河大星君」さまが来られてから、2018年はいよいよ「星の神秘力と星の力の顕現」の流れになってきました。1月13日には、「玄空の銀河大星君」さまが来られ、「星の神秘力」を産土の守護曼荼羅のご存在たちとともにいただきました。さらに2月4日、11日と連続して重要な講座があり、バージョンアップが加速しています。くわしくは載せられませんが、一端をご紹介します。

 

アマン大長老さまのメッセージより「人類の本質は一種の星といっても過言ではありません。地球人類の肉体は地球の子であり、タマシイは宇宙(星)の子です。地球の子の自覚をもって、星の力を出すことです。星の存在である人類は一霊四魂やチャクラなどから、光を発する光の存在です。産土というグラウンデイングを行い、星としての存在を自覚・認識し、2つを陰陽調和させることです」

2月11日の講座での、Tさんの感想です。「先生が銀河鳳凰大帝さまをお呼びすると、空間が歪むというか、今ある空間から高次元の空間が現れて、いろいろなご存在が満ちていき、空間の密度が変わり、私たちがいるこの空間が高次元空間になるのです。それが私たちの中にしみこんでいって、細胞のひとつひとつに高次元の神さまの愛というか、エネルギーがしみ込んできます。生命力をもらうというか、すごく活性化して、恵みをいただくという感覚があって、なんてありがたい経験をさせていただいているのだろうと思いました」

最後に山田がご開運の意味について、「ご開運というのは、本来の姿に戻ったうえで、ステージアップさせることです。まず、本来の姿に戻さないといけない。光の存在に戻ったのを、もう1段階上げるのが、ご開運と救済なのです。ステージアップさせると、本来の働きができると同時に、もっと素晴らしい働きができるようになるのです。すべての存在をそうしていくのが、ご開運のミロク原則界業なのです」と解説すると、大きな拍手と感動に包まれました。

Sさんより後日、感想のメールをいただきました。「これまでと結界そのものが違いました。まず最初に四角い巨大な板状のものがせりだしてきて、上空を覆いました。きれいな垂珠がところどころに吊り下がっていて、シンプルで芸術的な四角い空間ができました。さらにその内側に丸く何重にも結界が張られました。大マハーヴァイローチャナさまをお呼びすると、巨大な蓮華座が降りてきて、結界の真上にふわりと乗りました。銀河鳳凰大帝さま、ラージャ大マハー十一面千手千眼観世音菩薩さまのエネルギーは形も色も無く”真空”で、今まで拝見したことの無いものでした(抜粋)」

山田が、11日の講座は今までで一番スゴイ内容だった、と話しています。参加できた方はラッキーでしたね。いずれCDにする予定ですので、お楽しみにしてください。今年から皆さんの内在する「星の力」を顕現させる講座をやっていくということです。ぜひ『秘録』をお読みいただいたうえで、できるだけ理解を深めてからご参加ください。

 

お誕生祝いのお花、ありがとうございました!

お誕生祝いのお花、ありがとうございました!

さて、今日2月15日は山田の誕生日です。朝から事務所に次々にお花が届けられ、事務所がお花でいっぱいになりました! あまりお気遣いいただかないように、何も言わなかったのですが(昨年は還暦祝いを盛大にいただいたので…(^^;)、気にかけてくださっていた方々の温かいお気持ちに感激いたしました(T_T) また、お祝いの品をくださった皆様、ありがとうございました。

今後も、開運吉祥、和楽繁栄と人類の平和に貢献できるよう、皆さんに喜んでいただける講座を続けてまいりたいと思います。