さきたま古墳群と前玉神社 その2

その1からのつづきです。

さきたま古墳公園入口向かいの道路に、「埼玉県名発祥の古社、前玉神社まですぐ⇒」という標識がありました。それを見て、「前玉神社にも行こう!」となりました。前玉(さきたま)神社のことは、正直忘れていた(^^;のですが、埼玉県名発祥の神社ですし、埼玉県の人なら必ず行くべき神社です。

ということで、昼食の後、前玉神社に向かいました。前玉神社の住所は行田市埼玉です。歴史は古く、古墳時代(400~500年)までさかのぼり、古墳群に向かって祈願する形で建てられているということです。前玉神社そのものが「浅間塚古墳」と呼ばれる小さな円墳の上に建てられています。平安時代に定められた延喜式内社ですから、格式は相当高いのです。

前玉神社参道の桜吹雪

前玉神社参道の桜吹雪

前玉神社のサキタマとは幸魂(さきみたま)に通じます。由来によれば、ご祭神は出雲系の神である前玉比売神(サキタマヒメノミコト)と前玉彦命(サキタマヒコノミコト)の二柱です。前玉比売神は天之甕主神(アマノミカヌシノカミ)の子で、甕主日子神(ミカヌシヒコノカミ)の母とされます。山田によると、天之甕主神とは天津甕星(アメツミカボシ)、すなわちアラハバキノ大神威さまのことだそうです。

境内社として浅間神社があり、コノハナサクヤヒメノ神さまがお祭りされています。浅間神社は忍城から勧請したそうです。ほか境内社には恵比寿社、天神社もあります。「恋愛成就、子育て、安産祈願、夫婦円満」のご神徳があるということです。

浅間塚を登っていくと、急な階段の上に前玉神社が鎮座しています。社殿は古いですが、歴史を感じさせる重厚感があります。境内には「龍泉池」があり、こちらも水面が桜の花びらでいっぱいでした。

前玉神社

前玉神社

埼玉県には出雲系の神社が多いのです。武蔵国一の宮の氷川神社・氷川女體神社をはじめ、鷲宮神社、出雲伊波井神社、氷川神社も各地にあります。古代、関東は出雲の勢力範囲だったことを表しているのでしょう。そして、前玉神社はこの地域の国魂に関係しているのかもしれません。

さきたま古墳群の向きについては、富士山を向いているのではという説もあるようです。この地域は平原で沼地が多く、古墳以外に小高い丘はありません。南西方向には富士山が見えます。富士山を向いているというのは可能性として高いのではないかと思います。

さて、次に「八幡山古墳」に向かいました。古墳群から少し離れた市街地の中にあり、公園になっています。八幡山古墳は古墳の中の石室が露出して、奈良県明日香村の石舞台に似ているところから、「関東の石舞台」と呼ばれます。それで山田が、興味あるから行ってみたいということでした。

入口には鉄格子がかかって、格子の間から石室の中のようすがのぞけます。四角い巨石ががっちりと組み合わされて、十分な広さがあります。外側もさまざまな大きさの岩を積み上げて階段状に高くなっていて、階段の天井には平らな石がストーンヘンジのように乗せられています。1400年ほど前に、どうやってこの石組みを作ったのか、石をどこから、どうやって運んだのか、謎ですね(?_?)

八幡山古墳

八幡山古墳

行田市教育委員会の解説です。「八幡山古墳はこの周辺に広がる若小玉古墳群の中心となる古墳で、7世紀前半に造られた直径約80mの大型の円墳と推定されています。昭和9年に、約2km東にあった小針沼の干拓事業のため古墳の封土を崩した際に、石室が現れました。石室はほぼ南北に位置し、南を正面とする前・中・後室の3室からなる全長16.7mの巨大な石室であることが明らかになりました。各室とも秩父地方から運搬された巨大な緑泥片岩と安山岩で築造されています。

発掘調査では最高級の棺である漆塗木棺の破片や銅鋺など豪華な遺物が発見されており、この古墳に葬られた人物がかなりの権力者であったと考えられることから、『聖徳太子伝暦』に登場する武蔵国造物部連兄磨(むさしのくにのみやつこ・もののべのむらじあにまろ)の墓と推測する説もあります」

さきたま古墳群に現存する古墳は大型のものだけで、多くは昭和の干拓事業でつぶされてしまったわけです。本当に惜しいことをしたと思います。きちんと保存されていたら世界遺産は間違いないでしょう。

秩父から石を運んだといいますが、秩父は遠いです!(@_@) 船で運搬したのでしょうか。それにしても昔の人々の技術と情熱と体力には感心します。

こうして、この日はさいたま再発見の旅になりました。地味な県ですが、「本当はスゴイ!」埼玉県なのです!